※この記事は、長いので少しずつ分けて、再投稿していく予定です。長くても場面緘黙の子の事が知りたいという方はご覧いただけると幸いです。
気がつくと外で声を出せなくなったほのくん。まびなんが長男や学校とどうやって向き合ってきたのかを書いていこうと思います。
日々の生活の中で、ほのくんように涙をこぼす子が一人でも笑顔になれますように願いをこめて。
まだまだつたない文章ですが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
小学校の卒業式
はじめに「あれ?」と思ったのは、小学校の卒業式で一人一人が一言ずつ卒業の言葉を発表する場面でした。
ずっとうつむいたまま、自分の番になっても何も発さないほのくん。クラスメイトのお友だちが気遣って声をかけてくれ、次の番の子が何事もなかったようにセリフを重ねてくれたので式は無事に終えることができました。
そのときはまだ式に緊張して何も言えなかったのかもしれないと思い、本人にも「お母さんたちもいたから緊張しちゃった?」と軽く声をかけるだけでした。
中学校入学
中学校に入学したとたん、生活は一変しました。
入学式を終え、中学校生活がスタートしてすぐ学校から電話がかかってきました。
「自己紹介のとき、何も言えずに涙をこぼしてしまいまいました」
担任の先生が、ほのくんの涙を見てとても心配して、すぐ連絡をしてくれたのです。
恥ずかしながらそのときはじめて、ほのくんが学校で声を出せなくなっていたことを知りました。
小学校在学中ちょうどコロナ禍に入り、参観日や保護者が観に行けるイベントがなくなり学校へ私自身行く機会がなかったこと、当時の担任教師からそのような内容の連絡がなかったこと、その頃まびなんの仕事が前例のない繁忙期でコミュニケーションをとる時間を十分に取れなかったことなど、いろいろなことが重なり、ほのくんのサポートをできていませんでした。そのときほのくんとの時間をしっかりとれなかったことをとても後悔し反省しています。
その電話のあとすぐに、スクールカウンセラーの先生と相談して専門の病院を受診するこのとになりました。最短で2か月後しか予約が取れませんでした。
自治体によるかと思いますが2か月はまだ短い方とのことでしたので、もしお子さんの成長で気がかりなことが少しでもある場合は、すぐにスクールカウンセラーの先生と相談することをおすすめします。ほのくんの学校では比較的早く受診できるクリニックを教えてもらえました。受診するまでの時間がとにかく不安でつらかったです。
はじめての通院
初受診のときは、母子手帳を持ってきてくださいと言われました。出産時の状況や幼少期の成長の様子を確認するためのようです。確認事項があるので30分くらい早めに来るよう言われました。
クリニックの先生と初めてお話したとき、
「無理をして話そうとしなくていい」
「今の生活で十分本人はがんばっている」
まずそう言われました。私も同じ気持ちでしたが、正直ほのくん自身や学校の先生、クラスメイトのお友だちのことを考えると「声を出せるように具合的に今できることは何かないのか」私の中で焦る気持ちがありました。
コロナ禍前ほのくんは参観日や学習発表会ではっきりと発言できており、早い段階ならまた話せるようになるのではないかと当時は思っていました。
結果的にはその考えはよくありませんでした。声を出すことを無理にすすめることはありませんでしたが、もしかしたら私の気持ちを感じ取って、ほのくんにとってプレッシャーになっていたかもしれないと今振り返ると思うからです。
学校の担任の先生も意思疎通ができないことで困っていたし、学業成績に影響が出ることを心配してくれていて、何かできることがないか聞いてきてほしいといった空気でした。
教科ごとの評価をつける上で、学校でできない声に出してする発表や音楽の歌のテストを自宅で撮影して行うことを中学校の先生から提案されましたが、結局うまくいきませんでした。
作文が書けない
入学当初、ほのくんは声を出すだけではなく、自分の考えを他人に知られることが恥ずかしくて作文が書けませんでした。
そもそも作文の書き方すら覚えていませんでした。
小学校時代は、私の知る限り3、4年生くらいまでは簡単な感想文は書けていたので、中学生になってまさか作文の書き方がわからなくなっているとは思いませんでした。本人に確認したところ、高学年以降作文の宿題を提出していないことがわかりました。今までちゃんとやっていたし、高学年になったらある程度自分で管理できるだろうと思って本人に任せていたのですが、定期的に口頭だけでも確認しておくべきでした。
当時の担任の先生からは、個人懇談でも宿題や作文が出ていないことは一切知らされず、やっているものだと思い込んでしまっていました。
家では家族や友だちと普通に話すことができたので、いつから学校で全く声を出せなくなっていたのか、課題が出ていなかったのかわかりません。
懇談のときはいつも「彼なりに一生懸命がんばっています」としか言われたことがありませんでした。
コロナ禍で声を出さないほのくんは、学校では特に心配な状況だと認識されなかったのかもしれません。
中学生になってから今までできていなかったことが次々とわかり、最初から教えることになりました。
まず作文の書き方の基本的なところを教え、思ったことを書くのが恥ずかしいというので、わかったことや実際に自分がやってみたことを書くようにすすめました。
中学生になって初めての作文のテーマは「私の好きなもの」でした。
どんなものなら知られてもあまり恥ずかしくないだろうか?私も一緒に考え、食べ物について書くことに決めました。ほのくんはワサビが好きです。幼少期からそばにはワサビをつけて食べていました。
なるべく自分の心の中を詳しく書かずに文章を膨らませるためにはどうしたらよいか考えたときに、
「大好きなワサビを苗から育ててみよう」
まびなんは、ほのくんに提案しました。日本のワサビは育てることが難しいので、ホームセンターで西洋ワサビの苗を買い、育ててみることにしました。
ほのくんにプランターへ土を入れ、苗を植える作業を一人でやってもらい、その様子をスマホで撮影しました。そのときの体験についてわかったことやがんばったことを書いてみるように伝え、撮影した写真もプリントして渡しました。
はじめはなかなか筆が進まないほのくんでしたが、なんとか最後まで書き終えることができました。
期限を少し過ぎてしましましたが提出することができました。
その後もこまめに作文の課題が出ていないか確認しながら見守り、はじめの頃は書くように促さないとなかなか取り掛からなかったのが、自分からすすんで書くようになりました。文章も自分なりに工夫して、短くても一人で書くことができるまでになりました。
中学校に入学してから1年目、うつむいて涙がこぼれる日ありましたが、部活動にも入部して毎日放課後まで頑張っていました。本人が一人では難しい課題が出されたときは、先生と相談しながら私も一緒に取り組みました。体育館のステージに上がってクラスで発表する行事は、みんなと一緒に移動して立っているだけでも参加しました。
2年生になって
2年生になると、全体の生徒数は変わりませんが1クラス少なくなり、クラスあたりの人数が増えました。この頃から次第に朝の登校時間が遅くなっていきました。
「ほのくんが最近朝登校時に中に入らず、学校の玄関の前で長時間立っていることがあります」
ほのくんの学校では遅刻した場合、玄関のインターフォンを押してロックを開錠してもらわないと中に入ることをできません。ほのくんは、インターフォンが押せませんでした。理由はおそらくクラスと名前を言うことができないことと、インターフォンのカメラにどのように自分が映っているのかわからないために不安な気持ちになったからだと推測します。
「先生方も毎回すぐ気が付いてあげられないと思うので心配です」
担任の先生はとても気にかけてくださり、朝教室にいない日は確認してくれていたとのことでした。これ以上先生やクラスの子どもたちにご迷惑がかかってはいけないと思い、毎朝混雑する登校時間帯より少し遅らせて私が一緒に学校まで行き、インターフォンを押して中まで見送ることにしました。これは3年生でも続けています。
2学期頃から体育の授業に参加できなくなり、それからすぐ授業の教室移動ができなくなりました。本人に理由を確認すると、
「人数が多すぎてつらい」
みんなが一斉に移動するときの音や他の子たちの移動する素早い動きがこわいようでした。
幼少期から精神的に疲れているときは、掃除機の音や、まぶしい光、ストーブやガスコンロの火に恐怖を感じて大声で叫び、泣きながら逃げ出すことが度々ありました。
1クラスあたりの人数が増えたことで、1年生のときより緊張感が増してどのタイミングで移動したらよいのかわからなくなり、授業が始まっても電気の消えた教室で一人でいることが増えました。
「タイミングを見つけられて、尚且つ多少遅れても必要以上に罪悪感を抱かずに済むようにできたら、移動できるかも?」
何か役割を与えたら…
「例えば、みんなが移動したあと最後に電気を消してから、次の授業の教室に行くと決めたらどうか?」
さっそく移動教室の電気を消す係になったほのくんは、少しずつ教室移動ができるようになりました。
しかしその後ほのくんの緊張がMAXになる不運が起こってしまいます。
体調不良で欠席した日の席替え
偶然休んだ日に席替えがあってから、自分の組の教室へ入ることが完全にできなくなったのです。
ほのくんが割り当てられた席は教室の真ん中あたり。朝みんなより遅くに行くので、席に着くためには、教室が狭いこともあり近くの子が机を動かして移動経路を確保してくれていました。クラスメイトの視線が自分に集まることや周囲の席の子が変わったことがつらいと私と二人きりの時に打ち明けてくれました。
「教室に入れなくてもいいから、教室の前まできて先生に姿を見せて。1日1回ほのくんの顔が見られたら先生も安心だから」
当時担任の先生がかけてくれた言葉です。温かくて涙が出ました。ほのくんも嬉しかったのか先生の気持ちに応え、毎日登校しては教室の前でUターンして母子で帰ることを一週間続けました。
廊下側のドア前の席なら座れそうだと言うのでお友だちに席を譲ってもらい、まずは1時間だけ、慣れたら2時間と増やしていき、午前中いっぱい学校にいられるようになりました。
「みんなの前で給食を食べるのが恥ずかしい」
給食の壁は本人にとってかなり高いようでした。
3年生になって
3年生になっても給食は食べず、午前の授業を受けて帰ってから昼食を食べる生活です。
「たいてい中学生になったら、母と過ごしてくれる時間がぐっと少なくなるけど、私は今もたくさんほのくんとの時間が持てる。つらくて帰ってきているのに本人には申し訳ないけど、私にとってはありがたい時間だわ」
心配する気持ちはあるけれど、今は一緒の時間を2人で楽しく過ごそう思っています。料理をしたり家庭菜園で野菜を育てたり、自宅で母子でチャレンジできることはたくさん。
1年生の頃の焦る気持ちは自然となくなっていました。
そして3年生の最大のイベント「修学旅行」!
この続きはまた別のお話で書きます。
大変長くなってしましましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
次のお話でもお会いできると嬉しいです。ではでは、またまた♬
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